変われるかどうか。

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僕が講師をやっている経営大学院では、3ヶ月が1ターム。で、各タームで大抵、一回は、「みんな、ちゃんと挨拶しようね」ということを伝える。

挨拶は、周囲を明るくする。
まず、朝のおはようという挨拶、そして会ったらこんにちは、とかお疲れ様。
お客様が来たらいらっしゃいませ。
夜、帰るときにお疲れ様。

朝の挨拶がない職場は、1日中、辛気臭い。
朝の挨拶が元気な職場は、会話も弾みやすく、雰囲気も明るい。
だから、積極的に挨拶はすべき、という当たり前の理屈。
明るい職場の方が、仕事の成果もあがりやすいよね。

としたらば、それは職場でもやるし、他の場所でもやった方がいいじゃん、近所でも挨拶した方がいいじゃん、と思うわけ。

だから当然、創造と変革の志士となろう!と大学院に通う人は、教室に入ったら、当然のことながら明るく挨拶し、話しかける、というのが基本だよな。
そういうところでも、リーダーシップの訓練は行われている。

いいチャンスだよね。その教室の空気を、自分が明るくできるチャンスがある。
やってみればいいじゃんと。

でも案外、みんな挨拶しないんだよ。全然意味わかんないんだけど。
教室に無言で入ってきて、周りを少し見回して、自分の居場所を見つけて座って、知り合いがいたら、やおら挨拶をし始める。そうでなければ黙ってる。

多分、こんなんじゃ、永遠にリーダーになんか、なれっこないわなー。

ということで、だいたい必ず、どこかのタイミングで、「普通に考えて、ちゃんと挨拶した方がよくね?」という話をする。

自分が挨拶せずに、でも自分の子どもには、ちゃんと挨拶しようね、とか言ってたりする。
そして、挨拶もあまりしないのに、「チームのモチベーションを上げるには」なんて議論をしてたりする。

それ、おかしいから。まず挨拶から始めようぜ、と。
小学生かと。でも、案外、大人、挨拶できていないよね。

そんで、こっからが大事な話。

とあるクラスで、前回の授業が始まるときに、挨拶しようね、って話をした。

したら、今日僕が入ってきて「おはよう!」と言ったら、前回とはうって変わって大きな声で多くの受講生が「おはようございます!」って返してきた。

結果、クラスの熱量は、授業がスタートする前から上がっていた。
当たり前だ。第一声でみんなが大きな声で挨拶すれば、すでにそこから、スムースに会話が始まる。どんどん、熱量は上がっていく。

明確な変化があった。

大事なのはこれ。そうだな、と思ったら、変えてみる。
そうだな、と思ってるだけでは、何も変わらない。
変えてみて、はじめて、効果がある。

繰り返し言う。
そうだな、と思ったら、変えてみりゃいいじゃんってこと。
変えられる人は成長する。
変えられない人は成長しない。

では、変えられないのはなぜか。
ひとつに、忘れてしまう可能性。これは思い出したら、やればいい。
次に、そもそも挨拶が雰囲気を変える、と思っていない可能性。
まあその場合は、僕はそれ以上関与しない。どう思おうが自由だからだ。
もう少し言えば、これが分からん奴は流石に知らん 笑

問題は、挨拶した方がいい、ということはわかっていながら、
恥ずかしい、とか、わざとらしくね?とかいってやらない可能性。
案外、多いのではないかな。

自分を変えることが恥ずかしい、というのは、自意識過剰ね。
誰もそんなに、あなたのことを気にしてないから、いいと思ったらやろうね、そんなに自意識過剰になってないで、という感じかな。

わざとらしくね?というのはどうだろう。
わざとらしいって、なんだろうね。

僕の結論。自分を変えるってのは、必ず、「わざと」変えるわけだ。
それまでやっていなかったことをやるんだから、わざとらしくも見えるかもしれない。
だから、「わざとらしい」かどうか、といえば、確実にわざとらしい。最初は。

それの、何が問題なのだろうか。自分が「わざとらしく」変えて、周囲が明るくなるんであれば、やった方がいいよね、と思うだけ。

「わざとらしく」だろうが、「自然に」だろうが、挨拶を自分が大きな声で明るくし続ければ、その場は絶対明るくなる。結果、みんなの笑顔は増える。

だから、変えることを恐れてはいけない。
そうだな、と思ったら、自分を変えよ。

わざとらしくでもなんでもいいから。

何度でも言うが、それができる人は成長する。
それができない人は成長しない。
それだけ。

挨拶に限らず、なんでも。

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